系譜の外側

NR(RC40) -since 1992-

NR

「果てしない夢」

変なバイクとして有名なNR750。何が変ってピストンが楕円の形をしていてコンロッドが二本付いてること。もちろん世界初です。

NRピストン

一体どうしてこういうことになったのかというと、レースが関係しています。

ホンダは1967年を最後にWGP(現MotoGP)から撤退していたのですが、復帰に向けレーサーを開発するプロジェクト

「New Racing Project」

を入交さん(後のHRC初代社長)指揮で発足し開発に取り掛かったのですが、最初に決めた目標がありました。それは

「4stで勝つこと」

です。

WGP500

当時のレースでは4stと2stもレギュレーションはほぼ同じ【4気筒/500cc】で2stが圧倒的に有利だったため2stの独壇場。そんな状況にも関わらず圧倒的に不利な4stを選んだわけです。

昔からそうですが何故ホンダは異常なまでに4stへ拘るのかというと

・本田宗一郎が4stを好み2stを嫌っていた事

・4stこそ未来につながる技術

というのが主な理由です。

しかし説明した通り2stの倍の行程が必要になる4stはパワーにおいて圧倒的に不利・・・開発者の吉村さんは頭を悩ませていた。悩みながら運転していてふと目に止まった構造物。

信号機

信号機・・・コレだと閃いたわけです。

「楕円形状による超ショートストロークエンジン&マルチバルブ化」

という閃き。

「2stの倍回るエンジンにすれば2stに勝てる」

という単純明快な答え。

 

楕円ピストンが一般的な真円ピストンに対し優れているのはスペースの有効活用にあります。

楕円ピストンと真円ピストン

簡単に言うと円を2つ並べた時に出来る無駄なスペースを無くせる事からバルブの有効面積やシリンダー幅の短縮のなどが可能となったわけです。

「単純なビッグボアじゃ駄目だったのか」

と思いますが、ビッグボアにするとバルブの直径も大きくなってしまい質量が増えるので、高速(高回転)で動かす事が出来なくなるし、デッドスペースも大きくなる。

そしてしつこいようですが"正攻法では2stにまず絶対に勝てない"のが当時のWGPです。

 

試しにシングルの楕円ピストンエンジンを作ってみたら意外とイケる事が判明。これでV4楕円ピストンエンジンの製作が決定。

そして誕生したのが1979年のNR500(0X)というレーサー。シーズン中盤に実験を兼ねてレースへ途中参加。ちなみにこの頃はまだ楕円ピストンということは極秘。

1979NR500

しかしいざ走らせてみると、回転数が(20000RPM以上)回る事によりバルブのサージング(正しく動かなくなる)や、コンロットが2本ある事からわずかの誤差でも捻れが生まれエンジンを破壊してしまう事。カムギアトレーンの減速ギア(リダクションギア)が耐えきれず折れてしまう等など、数々の問題が起こり入賞どころか完走すら難しいレベルだった。

NR500WGP

この事から当時はHY戦争中だった為

「会社の金で遊んでる。」

といった不満・レース不要論の声が社内から溢れてきた。ライバルメーカーに惨敗で成績を残せてないわけですからムリもない話。100年以上の歴史を誇るレシプロエンジンで

「ピストン(燃焼室)が真円じゃないなんて非常識だ」

と同じエンジニアからも言われる始末。

NR500メンテナンス

NRはその整備性の悪さも非常に有名で、エンジンを降ろさないとオイル交換すらままならないほど遊びの無い作りでした。

しかし4stで2stに勝つにはもうこの道しか無いわけで、何と言われようが開発を推し進め1980年のNR500(2X型)、1981年の(2X改型)と改良を重ね性能を上げていきましたが・・・やはり2stと4stのハンディキャップは大きすぎ、それら改良も虚しく

"鈴鹿500キロの国内レースの一勝のみで世界レースは全敗"

という散々たる結果に。

パワーは出ていたんです。トップスピードはクラス1なほど。でもどうしてもエンジンヘッド(バルブやカム)が必要になる4stでは車重の増加を抑えられなかった。

NR750エンジン断面図

さすがのホンダもNRが敗走する度に強くなっていった

「まず勝つことが重要、2stを使うべき」

という意見に飲まれ方針転換。

「すぐに勝てるマシン」が開発コンセプトの2stワークスレーサーNS500を製作し1982年から世界レースへ打って出ました。

NS500

性能は申し分なく15年ぶりの世界レース優勝という栄誉をホンダにもたらし、翌1983年には12戦中6勝をあげ世界チャンピオンに。こうなるとNR500は完全に不要となり、95%の速さまで仕上げたとされる82年型のNR500(3X型)は一度もレースを走ること許されず。

 

その後NRは最後の望みとなる"市販予定の4st750cc"まで認められていた耐久レース世界選手権へシフトしNR750を開発し1987年のルマン24時間に出走。

NR750耐久レース仕様

予選では真円ピストンのRVF750と僅か0.3差の二位に付ける好タイムを記録したものの、決勝では組み付けミス等により3時間でリタイアという悔やまれる結果に。

これがワークスレーサーNR最後の国際レースとなりました。

楕円ピストンエンジン

市販車であるNR(RC40)はそんなNRプロジェクトの初期段階から決められていた「フィードバックした市販車を出す」という方針に基いて作られたスペシャルバイク。

しかしこのバイクを見たとき多く人が車体価格に驚いたのに対し、レースを知る人たちからも別の意味で驚かれました。

マグネシウムホイール、チタンコンロッド、アルミツインスパーフレーム、片持ちスイングアームなどホンダの持てる最高の素材と技術を詰め込んでいるものの、どちらかと言うとデザインを優先した大柄な車体にフルカーボンファイバーなど、どう見てもレースに出るようなホモロゲーションモデル(レースベース車両)の作りじゃない。

NRラフデザイン

これは当時バブルで高級車が飛ぶように売れていた事と、VFR750R(RC30)や控えていたRVF(RC45)とバッティングしないようにする為もありますが、理由はともかく

「もうNRではレースしない」

というホンダの答えが鮮明に出ていたから。

しかし最後の最後まで不運なことに発売されたと同時にバブルが崩壊し、520万円という車体価格の高さからセールスは苦戦。

限定300台ながら国内に200台ほど余ってしまう自体になりました。恐らく予定だった300台も世に出ていないと思われます。

NRエンジン

NR(RC40)はVFR750Rを始め最近出たRC213V-Sなどの歴代スペシャルバイクの中で、唯一無冠に終わったバイク。

これだけ聞くと明らかにホンダのモータースポーツ史の汚点のように聞こえますね。

でも4stで2stに勝つという無謀な選択をし、かつ成功させるため笑われようと煙たがられようと楕円という非常識の可能性を信じ1000回以上のテストや失敗を重ね、あと一歩のところまで仕上げた。

NR750

これほどまでに"走る実験室"というホンダのレーシングスピリットが色濃く詰まってるバイクはない。

「名誉はないが誇り(スピリット)はある」

それがNR。勝って当たり前と言われるほどにまでなったV4レーサーの始まりでもあります。

 

 

【余談】

NRの「New Racing Project」は若手技術者だけ構成されたプロジェクト。

VFR750R等の開発に関わった山中さんですら口出し厳禁だったそう。その理由は

「レーシングスピリットを持つ人材の育成」

というこれからのホンダを支える社員を育てる目的があったから。

ここで思い出したのがF1。

MCL32

あまり詳しくないのですがホンダはボコボコにヤラれているようですね。しかもエンジニアは若手が中心とか・・・これ正にNRと同じ状況。

 

【余談2】

NRの総責任者で楕円ピストンを生み出した入交さんは、その後にホンダの副社長そしてHRC初代社長にまで上り詰めたわけですが、諸事情ありホンダを退職しSEGAへ副社長として入社。そして制作総指揮を努め生まれた作品がSEGAを代表する作品の一つ「サクラ大戦」だったりします。

入交昭一郎

そしてその実績を買われセガの社長になると、プレイステーションに対抗すべくドリームキャストの開発を指揮。しかしこれが不振に終わったことで引責辞任されています。

エンジン:水冷4サイクルDOHC4気筒
排気量:748cc
最高出力:125{77}ps/14000{11500}rpm
最大トルク:7.0{5.4}kg-m/11500{9000}rpm
車両重量:225kg(乾)
※{}内は国内仕様

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